たけし、タモリ、さんま…多くのタレントをテレビの人気者にした元フジテレビの名プロデューサー~佐藤義和さんを偲んで~ 《後編》 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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たけし、タモリ、さんま…多くのタレントをテレビの人気者にした元フジテレビの名プロデューサー~佐藤義和さんを偲んで~ 《後編》

◆【次世代の笑い・アイドルの笑い】

「若いディレクターを育てないと、忙しくて私は死ぬ!」と、スタッフ育成と次世代のひょうきん族を作るため、深夜で『夢で逢えたら』を立ち上げる。ダウンタウンはすでに関西で人気、ウッチャンナンチャンも関東で売れ始めていたが、『夢で逢えたら』から『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば』『ダウンタウンのごっつええ感じ』とそれぞれにつながる流れがなければ、実力溢れる2組の長期に渡る活躍は今とは違ったのではないか。

 当時の佐藤さんは『いいとも!』週5本に『いいとも増刊号』等、プロデュース番組が10本近くもあった。

『SMAP×SMAP』に関しては、ジャニーズ事務所から「SMAPを平成のクレージー・キャッツにしたい」との要望があったという。佐藤さんは『夢がMORIMORI』でSMAPにコントを練習してもらい、『SMAPのがんばりましょう』を経て、96年『SMAP×SMAP』へとつながる。

 キムタクが古畑任三郎を演じたりという番組を見た当時の吉本興業のマネージャーが「芸人のやる場がなくなる」と危機感を抱いたほど、SMAPはおもしろいグループになった。

◆【晩年の思い出】

 佐藤義和さんの関わった仕事は前後編に記したものだけではないが、常に新しい人材、新しいバラエティーという「新しさ」を作ってきたことが伝わっていただければと思います。

 50代後半の2005年にフジテレビを退社。私が再会したのはその数年後、芸人たちのライブ会場。佐藤さんはネタのダメ出しをしていた若手を観に来ていました。まだ発掘と育成をやられていたのだ。それ以来時々、私を自宅に招いてくれて、フリーとして手掛けている番組(ヒット作とはいかなかったが)や映像を見せてくれた。

 その数年後、突然に沖縄移住。驚いた私が数年後に旅行で訪ねると、沖縄暮らしを語ってくれて、「沖縄に来たら?」といつものゆったりした口調で言ってくれた。2015年、私は佐藤さんがいなければ移住はしなかったろう。

 佐藤さんは沖縄でも人との出会いを重ねていたようで、ある酒席に呼ばれて私が出向くと、沈む夕陽が見えるホテルのテラスで沖縄の方々と仕事やテレビの話を満面の笑顔で交わしていた。「人生はおもしろいね」とほろ酔いの赤い顔で私に笑った楽しそうな表情が忘れられません。

 時おり電話をして、佐藤さんと話をしていたが、昨年は「今、病院なんだよ」と話す日もあった。今思えば、もっとお話相手をしていればと後悔ばかり。多くのタレントや元タレントが心の中で感謝していると思います。

 

【著者プロフィール】

松野大介(まつの・だいすけ)

1985年に『ライオンのいただきます』でタレントデビュー。その後『夕やけニャンニャン』『ABブラザーズのオールナイトニッポン』等出演多数。95年に文學界新人賞候補になり、同年小説デビュー。著書に『芸人失格』(幻冬舎)『バスルーム』(KKベストセラーズ)『三谷幸喜 創作を語る』(共著/講談社)等多数。沖縄在住。作家、ラジオパーソナリティー、文章講座講師を務める。

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松野 大介

まつの だいすけ

1964年神奈川県出身。85年に『ライオンのいただきます』でタレントデビュー。その後『夕やけニャンニャン』『ABブラザーズのオールナイトニッポン』等出演多数。95年に文學界新人賞候補になり、同年小説デビュー。著書に『芸人失格』(幻冬舎)『バスルーム』(KKベストセラーズ)『三谷幸喜 創作を語る』(共著/講談社)等多数。沖縄在住。作家、ラジオパーソナリティー、文章講座講師を務める。

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